縄文時代 |
大畑遺跡からは土偶。大間の浜からは石匙。
大築海貝塚からは縄文土器。 |
弥生時代 |
大畑遺跡、大間の浜遺跡、大築海貝塚があり当時の石包丁他約40点が現在も答志中学校に保管されています。古墳時代大畑、大答志、長者ヶ谷の遺跡があり古墳は17基が現存しています。その内でも岩屋山古墳は直径17mで両袖式横穴式石室で全長8.7m、巾2.2mのものです。 |
古墳時代 |
又、蟹穴式古墳は、現在東京国立博物館所蔵になっている須恵器の超大型長頸壷(高さ56.8cm)を副葬していました。また出土地点は不明ですが、同じ東京国立博物館にとても珍しい土師鳥形鈕脚付堆が所蔵されています。この時代奈佐遺跡から「和同開珎」の銀銭が出土しています。 |
奈良時代 |
奈良時代の答志島は、万葉の舞台ともなり、万葉歌人である柿本人麻呂の有名な歌が数点残されているのを見てもわかります。 |
戦国時代 |
鳥羽城主・九鬼嘉隆が関ケ原合戦に西軍に味方して敗れ、自刃した首塚、胴塚の史跡があり、県の重要文化財に指定されています。 |